ジャッジしないこと。正解と不正解って?

 

おはようございます^^
日曜の朝は、いつもより少しだけ
時間がゆっくり流れている気がして心が穏やかになる♡

ついこの間、大学の後輩のみんなにお話する機会を
いただきました^^これまでのことや、今の生き方、
働き方について振り返ることができて、
私自身、とってもいいきっかけになりました♡

 

その時に、いただいた質問の中で
ひとつ、とってもいい質問をもらって、
そこから考えたことがあるのでシェアしようと思います♩

 

 

正解と不正解って存在しない。っていうはなし。

生きていると、どうしても、自分の意見が
相手にとっても正しい。という考えを前提として
コミュニケーションをとってしまうことって、誰にでもあると思う。
私ももちろん、多々ある。

 

この考え方で、自分は幸せになれた。楽になれた。
それがそのときの自分にとっての正解だったから。

 

でも…だからといって
相手にとって、その考え方が、適切な答えだとは限らない。

こういうケースって少なくないと思う。

 

自分にとっての正しいことは、相手にとって正しいとは限らないし、
自分が信じて疑わないことですら、別の誰かにとっては
間違っているものとして、捉えられることだってある。

 

 

どうして、争いが起こるの?

毎日を生きている中で争いが起きるのはどうして?

イライラっとする感情はどうして生まれるんだろう?

誰かや何かに対して違和感を感じるのはどうして?

 

 

 

冷静に考えてみると、答えはとってもシンプル。

「相手の価値観や考え方が間違っていると否定をするから」

 

 

自分が持っている固定概念や、常識や、ルール、価値観を元に
心が動いているから、こういった感情が生まれるんだと思う。

 

だから大事にしたいのは、
相手を認めること。そして自分を認めること。
愛のある選択をすること。

 

どちらにとっても持論は正しい選択であって、
どちらが正しい。とは言い切れない、決めきれない。
正解、不正解は存在するかのように思えて、実は存在しない。
ということを、知っておくこと、理解しておくこと。

 

特定の誰かにとって都合の良い解釈でしかない。

 

相手を認めて、自分を認める練習をすることは
自分の器を広げる練習でもあると思う。

受け入れられる範囲を、器を、
少しずつ、ちょっとずつ、広げていくのが大切だと思う。

 

矢印の向きを、俯瞰して、観察してみる。

他の誰かに対して意見したくなる時、誰にでもあると思う。
私の意見はこうこうこうで、こう考えています!って。

そう強く言いたくなるときは一度、
矢印を相手に向けるのではなくて、自分に向けるようにしてみる。

 

自分が勝手に作り出した常識やルールや価値観が
相手にとっても正解であるとふんで、
自分の思いや考え方を押し付けようとしていない?って
一歩引いて観察してみる。

 

こんなふうに口にしたくなるのは、言いたくなるのは、
自分の小さい器が原因じゃないかな?って
一歩引いて、観察してみる。

 

こんな風に、自分を見つめる練習、観察する練習を
気長に気長に続けてみると、ちょっと見える世界が
変わってくる気がする。

 

 

 

相手から鋭い矢印が飛んできたらどうする?

反対に相手の矢印が自分に向かっているときは、受け止めないこと。

鋭い矢印は、こちらが受け止めなければ、こちらを通り越して
どこかに飛んでいくはず。

またはブーメランみたいに、
鋭い矢印を向けてきた、相手の元にまた、返っていくはず。

だから、無理をして
きつい矢印を受け止める必要はないし、
鋭い矢印は、避けていい。

 

 

有限な時間を、ていねいに、扱うこと。

時間には限りがあって、人生は一度きり。
今この瞬間は二度と戻ってこない時間であることを
忘れないで、生きていきたいなって、何度も何度も思う。

自分のために、そして、大切にしたい人たちのために
有限な”時間”というものをを丁寧に丁寧に扱いたい。

 

自分にとって、大切な人にとって、
大事なことに、大切なことに、
必死になればいいし、熱狂すればいいし、時間を使えばいい。
実は、とってもシンプルなこと。

鋭い矢印に悩まされたり、
もやもやと過ごすのはもったいないから。

矢印の向きを俯瞰して観察しながら、
相手と自分を認める練習をしながら
器をちょっとずつ大きくしながら
豊かに生きていきたいですね♡

 

 

 

 

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