実は2018年大晦日にカフェの予約がはいっており(カウントダウン)
今年の年越しはカフェだね〜とか話していたのですが
急遽前日キャンセルになり、カフェを閉めて
自宅で彼と二人、お正月を過ごしました。
いつもはカフェにいる夕方〜夜の時間、
お家でゆっくり過ごし、座って夕飯を食べました。
テレビを見たり、携帯をさわったり、「焦燥感」がありません。
もろもろ終わった夜20時。
いよいよ手持ち無沙汰感に耐えられなくなってきました。笑
(いつもは忙しくしている時間帯だから)
みんなお仕事終わって家で何をして過ごしているのだろう?
という謎の疑問が生まれ、きっとみんなは家族と団欒したり
テレビをみているのだろうと想像。
じゃあ私も!と思い、テレビをみました。
思いの外、テレビを楽しむことができず、
結局、メールを返信したり、本をぱらぱらめくったり。
非日常すぎて心も体も戸惑った大晦日でした。
そんな大晦日だったのですが、
一つ、気づきがあったのでさくっとシェアしようと思います。
それは
当たり前は当たり前ではないということ。
失ったからこそ気づく感謝があるということ。
え?そんなこと?!って思われるかもしれませんが
夕飯を座ってゆっくり食べられるって
最高にしあわせなことや〜!!!!!!!!
って思ったんですよね。
なんだろう、このゆったりとした時間は!
なんだろう、このほっこり素晴らしすぎる時間は!
って思ったんです。
カフェを始める前は、家で3食自炊したものが食べられることって
私にとって、すごく当たり前でした。
でも、この1年、夫婦でカフェを経営し、夜は家にいないことがほとんどで
夕飯も座ってゆっくり食べることなんてできなかったんです。
そんな日々を過ごしていたからこそ、
夕飯を座ってゆっくり食べて、そこから
あーだこーだ団欒できるって素晴らしすぎる事実!!
そう気づけました。
なんてありがたいことなんだろうって
当たり前への感謝が溢れてきて、最終的には生きててよかった〜!
生まれてきてよかった〜!こんないろんな感情に気づけてよかった〜!
さいこう〜!ってそんな気持ちになりました。
きっと失わなければこんな気持ちににはならなかっただろうし
夕飯を家で食べられることへのありがたみも
感じられなかっただろうと思います。
私たちみんなそうだと思うのですが
何か大きなものを失ったときや
何か大きなものを得たとき
すごく辛い気持ちになったとき
すごく嬉しい気持ちになったとき
そういったときに、よく「気づき」が生まれると思います。
だけれど、失ったときや、得たときだけではなくて
毎日、感謝や感動の種は日常にたくさん転がっていると思います。
だから、少しの心の空白、余裕を持って
日々の当たり前にもっとありがとうの気持ちを持ちながら
毎日過ごせたら、もうほんの少しだけ
happyな気持ちで、前向きで明るい気持ちで
いられるのではないかなと思います。
ということで、焦燥感にいつもかられがちな私ですが
2019年は心の余白を大切に、過ごしていきたいと思います^^
すてきなお正月をお過ごしくださいね。